初めまして、このサイトの管理人をしていますせっかちなーすままと言います。
この度はご訪問ありがとうございます。
簡単にですが私の自己紹介をさせて頂きます。
名前:せっかちなーすまま
職業:看護師(今年で12年目に入りました)
家族構成:夫と子供2人(3歳と0歳の男の子が2人います)と私の4人家族
好きなこと:寝ること、子供と遊ぶこと
パソコンなんてカルテくらいしか触ったことのない私がブログを始めるのにはとても長い道のりでした。
15分とか20分で出来る設定を1時間以上かけて設定したり、設定できずに嫌になって投げだしたり…。
でも諦めるのは悔しくて負けず嫌いな私、やめる事だけは絶対したくなく、続けているうちに何とか形になってきました。
こんな私の自己紹介をさせて頂きます。

簡単に私の山あり谷ありの人生はこんな感じです↓↓
- 高校卒業後、農業大学に入学し卒業後は就職もせずフリーターへ
- 1年後看護学校に入学3年後正看護師として総合病院に就職
- 配属された病棟に泣きながら耐え頑張るも2年後に突然移動を言い渡される
- 異動後すぐに5年付き合った彼氏に振られ結婚を諦める
- 異動して2年経過し今の夫と出会い付き合い、10か月後にスピード結婚
- 結婚後1年間妊活するも子宝に恵まれず不妊治療を開始し、検査で40代の子宮と言われる(当時29歳)
- 仕事をしながら1年間の不妊治療を得て体外受精にて第一子を妊娠出産
- 育休後仕事に復帰し、7年務めた病棟で自分から異動希望しオペ室へ
- 現在体外受精にて第二子を妊娠、出産し育休中
こんな感じで人生山あり、谷ありな人生を送ってきました。辛いときは周りの人が羨ましがったりしたこともありましたが、結構自分の人生気に入っています
とても不器用で要領の悪い私ですが、周りの人たちに助けられながら過ごしています(*^^*)
農業大学から看護師に進路変更
高校卒業してから農業高校に入学しました。
別に農家の家系とかではなく、何となくその時「もやしもん」という漫画にはまっていて農大楽しそうだなーっという不純な理由で進路を決めました。
大学生は何も考えずキャンパスライフをとにかく楽しみまくりました。
卒業まで何も考えていない私、就活もせずそのまま卒業後はフリーターへ。
(大学生活は本当に楽しかったけど、ちゃんと勉強すればよかったと後悔)
1年間ふらふらし、このままじゃいかん!両親に悪いっと思い高校で看護師も向いているんじゃないっとい先生の言葉にを思い出し、翌年看護学校に入学し、3年後看護師になりました!
看護師の経歴
看護師になり地元の総合病院に就職しました。
最初に配属されたのは循環器と血液内科の病棟でした。
怖いくて厳しいと有名な病棟。
不器用で仕事を覚えるのが遅かった私は同期の中でも一番出来が悪く落ちこぼれでした。
仕事中もよく先輩に怒られ泣きながら仕事をして、帰ったら勉強してを繰り返す怒涛の新人時代でした。
突然の病棟移動
それでも何とか2年間辞めず続け、重症部屋の担当を任されるようになりこれから頑張るぞー!っと思っていた矢先、突然の移動で消化器内科、代謝内科の病棟に配属が言い渡され号泣。
こんなに頑張ったのに自分はこの病棟に必要とされてなかたのかっと2,3日泣いてました。
今思うとそんな泣くことないじゃんって思いますけど、当時はそれくらい辛かったんです(´;ω;`)
そして何よりも消化器が嫌いだった私。学生の頃から心臓や脳は割と好きで進んで勉強していましたけど、消化器は嫌いで国試で受かる程度の勉強しかしてきませんでした。
そんな私が消化器内科、代謝内科の病棟って…移動して始めて出勤した日はなじめず、そして疾患が全く分からず患者さんを診ることができなくてストレスの山。
前の病棟で少し仕事で出来るようになったと調子に乗っていた私は、何も仕事が出来ないことに落ち込み、悔しさで大っ嫌いだった消化器と代謝内科を必死に勉強しました。
今では一番苦手だった分野が一番得意な分野になりました。人間やれば出来るもんだなっとちょっと感心。
異動して数年、同じ病院に勤めていた旦那さんと知り合い結婚。
異動したと同時くらいに5,6年付き合っていた彼氏がいたんですか振られてしまい結婚を諦めていたんですがとんとん拍子でお付き合いし10か月で結婚。
(結婚って時間よりもタイミングが大事であることを知りました)
その後2人の子供を授かり、気付けば泣きながら働いていた病棟を7年ほど働いていました。一番所属していた時間が長かったです。
次の疾患を学ぶため自分から移動希望をして次は手術室へ
10年以上病棟で働いていた看護師が自分から手術室を希望するなんてめったにない事でとても変わり者扱いされました。えへへ(〃´∪`〃)ゞ
今は育休中ですが、復帰後は手術室に戻る予定です。
手術室へ移動
病棟ではそこそこ中堅で働いていた私ですが手術室では新人扱い。
自分よりも何年も経験年数が下の後輩に教えて頂き、1から再スタート。
私の性格的に後輩とか先輩かはあまり気にしていなくて、後輩であろうと指導してくれる人が出来たことが楽しくて嬉しかった!(病棟ではほとんど指導する立場でした)
見るもの全てが新しい事だらけで、勉強し甲斐がいや、先輩に見られる緊張感がとても久しぶりの感覚でした。
これはやってやるぞー!っと意気込んでいた矢先、付いた外科のオペで医師に思いっきり怒られいい歳して号泣
こんなに泣いたの新人以来でした。
それでも見返してやる!!っと叩かれても折れない私はしつこく先生のオペを見学しリベンジ。
合格はもらえなかったけど、何とか最後まで付かせていただけ少し自信が持てた私。
周りからは変わり者っと思われているけど、毎日楽しく仕事に励んでいます。

子供って自然に授かるものだと思っていた私
少し戻り、子供が生まれたときの話をします。
とんとん拍子で結婚したのが28歳の年でした、歳も歳だったので子供が欲しかった私は早々に妊活を開始。
生理は規則正しく来ていたし、生理痛は重い方で薬を飲まないと動けない程でしたけど、能天気な私は逆に言えば薬を飲めば動けるから軽い方とまで考えていました。
しかし1年経っても妊娠はせず、夫と話合病院を受診。不妊治療を始めると共に色々検査を始めました。
卵巣は40代
検査するとびっくり、私の卵巣の年齢は40代と言われました。さらに子宮内はポリープだらけで鍾乳洞の様になっていました。さらにさらに卵管が閉鎖している可能性、内膜症の可能性などどんどん出てきました。
ぎりぎりとはいえまだ20代だった私はなんでこんな体がぼろぼろなんだろっと大号泣。
しばらく立ち直れず友達の妊娠も心から祝福できませんでした。
でもどうしても子供が欲しかった私は不妊治療をいったんやめ、自分の体の治療を始めました。
紹介された病院に行き、内膜症からポリープから卵管から手術して全て治療し、半年後に再度不妊治療を開始。
卵巣の年齢が40代というのもあり、タイミングや人工授精はほとんどふっとばしすぐに体外受精を始めました。
注射や内服を毎日行い採卵、受精、そしてやっとのことで受精卵を戻し、数週間後に結果発表。
部屋に呼ばれ、「おめでとうございます」っと言われたときは本当に嬉しくて大号泣。
この時授かったのが今の3歳になるお兄ちゃん、そしてその後も凍結していた受精卵を戻し、7か月になる弟ができました。

この時まだ保険適用外の為、総合100万は軽く超えましたけどこんなに嬉しいことはなかったです。
一度は世の中を憎むほど落ち込むこともありましたけど、今は幸せに過ごせています。
不妊治療と仕事との両立は本当に大変でした。どんな風に乗り切ったか改めて記事に書いていきたいと思いますのでそちらも良ければ読んで下さい。
記事を書いて思ったのが、私の人生に号泣は付き物です(n*´ω`*n)
ブログを通してお伝えしたいこと
・看護師の魅力をお伝えしたい
・心が疲れている看護師さんの乗り越え方を言伝えしたい
・子育てと看護師の仕事の両立方法をお伝えしたい
看護師という仕事が好きで、少しでもその魅力を伝えられたらいいなっと思っています。
新人指導を何人もしてきました、心が折れそうで辞めそうにな子もいましたが今では立派な看護師として働いてくれています。
そのためもう辞めようかな、こんなときどう乗り越えたらいいんだろっと思っている看護師さんの気持ちに少し手もお役にたてたらいいなっと思います。
このブログを通して1日でも看護師という仕事を続けてくれたらいいなと思っています。
それと、ママと看護師両立もです。
ママと看護師の両立って大変、本当に大変。
私も毎日家では怒号が飛び交いながら頑張っています。このブログで頑張っているママさんに共感がもててくれたら私も嬉しいです。
頑張って配信していくのでよろしくお願いします。
以上、せっかちなーすままでした。